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意外にお若かった松尾芭蕉

くらしの雑記

俳聖、松尾芭蕉。俳句と旅に費やした人生。享年50歳。。。え!もっと年配かと思ってた。

秀吉61(62?)、家康73歳

5月22日のNHK大河「鎌倉殿の13人」の紀行で芭蕉の平泉の句が出たので、いろいろネットで調べていたら、亡くなったのが50歳(または51歳)とあるではありませんか。しかもお墓が木曽義仲のお隣、、泣ける…、今年の大河にどっぷりはまっています。

肖像画にあるような風貌からしてもっとお年寄りのイメージだったのですが、なんとその年を越えてしまっていた令和のいち民草のわたくし。

家康の時代の平均年齢は40歳くらいだったということもあって、50歳以上となると長生きの部類なんでしょうね。武士の世は自害したり、姥捨てがあったりしていやおうなしに人生が終わる時がきてしまうのとは違って令和の平穏を感じずにはいられません。医学の進歩もあっていまや80歳を超える平均、人生100年時代。

↓「野ざらし紀行」の自筆稿がみつかったらしいですね。お目にかかれる日はくるのか。嵐山の福田美術館へまた行きたいところ

「60近いんだから」と気を遣われるお年頃

最近なにかと覚え違いや聞き直しをするたびに、子供に「もう60近いんだから…」と言われ、ちょっとむっとしてしまいます。四捨五入でいっきに飛ばないでほしい。

少しくらい高いヒールをはいて歩いているからって階段や段差があるごとに振り返って

「段差あるで」と教えてくれる。。。

今私が母(80歳越え)にしていることと同じやん…。。。そんな??あぶなっかしいのかな。

もしかして子供世代やもっと下の世代からしたら50代後半も60代も同じ、大御所??ちっくに見えているのかもしれません。まあ、こけてしまったら大変なので、ありがたいとおもっておくことにしておきます。

年齢からか恰幅からか、最近はもうもじもじすることもないし、堂々と「これなに?わからないから教えて」な世代。後ろ姿はよろよろしているのかな、いたわってくれてありがとよと思うことにしよう。

「耳従う」まであと5年

孔子の論語 より

「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」

50で天命を知ったのか? とにかく会社生活でやりきりたいことはあって、やりきった感。定年をまたずセカンドライフへ舵を切りリタイアしたのが昨年秋。そして次の「耳従う」まで少しの間休憩。

70歳からは心のままにとあるのでこれも楽しみ、先人の知恵に学ぶところはおおいにありますね。


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