断捨離のあとは、のこしたものと大切に暮らしていく
30年ちかく前にいただいた棗(なつめ)
アラカン・バブル世代はいわゆる嫁入り修行として華道・茶道・着付けなどをこなす最後の世代かも。
ご多聞にもれず当時20代そこそこだった私は社内の茶華道部に入部して(そんなんあったんですねー当時)着付けも2週間くらい講師の方のレッスンに申し込んで一人で着れるようになりました。
その後、会社近くの古美術商のお宅でおもしろい旦那さんと奥様(先生)に師事し、裏千家の茶道、未生流の華道にいそしみつつ、マハラジャ通いもこなす、体力がありあまっていた日々(懐)。
結婚後も続けて、いよいよ臨月ちかくなった日まで、今になって思えば数年のことだったけれど習っていてよかったあのころの私よ。そそのかしてすすめてくれた友に今更ながら感謝。
最後の初釜の時だったか、先生からいただいた棗(なつめ)をずっと着物をしまう箪笥の小物入れにしまっておいていたのですが、先日一保堂本店で久しぶりにお抹茶を買ったことから、懐かしの棗もだしてきました。
蓋に松と梅が扇形に、本体に竹が金で描かれていて、松竹梅とおめでたい。いただいた箱のまま、30年近くという長き眠りから覚めて、いざ出番です。
↓ この公演後、そぼ降る雨の中一保堂で買った「巳昔(みむかし)」。
朝のコーヒー代わりにやや濃いめ、お風呂上りに薄めに点てて頂いています。
やっと、いっぷく
ブログタイトルの「50代は人生のお茶の時間」は、人生85年を1日として計算すると50代ってランチの後のアフタヌーンティタイムあたりになるということからつけました。
今の私はお茶をのんびり頂く人生の午後の時間を過ごしている。
50代半ばで早期退職したこともあって、のこりわずかとなった今やっとそんな時間を味わうことができています。
美味しいお茶をいっぷく。
紅茶でも緑茶でもほうじ茶でもいいし、自分で飲むのでお点前も何もない抹茶、おいしい。 初回はダマが残ってしまったけれど、回を重ねるにつれて美味しく点てられているような、気がする。ラフでええんよ。
かの千利休の一首と心得より
茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたててのむばかりなることと知るべし
- 炭は湯のわくように置き
- 茶は服のよきように
- 夏は涼しく冬は暖かく
- 花は野にあるように
- 刻限は早めに
- 降らずとも雨の用意
- 相客に心せよ
今はもうひとさまに差し上げるような機会はないですが、家族や自分で頂く分にはカジュアルながらも
服のよきように点てて味わう時間を楽しみましょう。
今日はデッキにふりしきる雪を眺めながら。
お茶碗も茶杓も茶筅も嫁入りの際にもたされたもの、やっと出番がきました。
今度茶筅を新調しよう、庭のバラはいつ剪定しようか、、ゆっくり考えながら。
いろんなイベントでお茶をいただいてみようか。
正客以外ならできる(たぶん)。着物の格や持ち物、留意事項(帯留・指輪NGなど)はわかってる…よね、不変。
↓ いきなり敷居が高い
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