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【お盆によせて】人生100年時代 と 50代で逝った父

くらしの雑記

ここ2年、お墓参りは「リモート」。 母と一緒にお墓参りをした妹からLINEでどんなお花を供えたかなどの連絡をもらう。 ありがたや。

義実家への帰省もこの2年行けていない。 私にしても夫にしても、いまここに生きていられることを、命をつないでいただいたことを感謝しつつ、親が元気なうちに顔をみせたりちょっとした手伝いをするなど、リアルに会うことでかなう親孝行ができないのはなんとも歯がゆい状況。お盆ということで50代で逝った父のことを思う。

もう声も顔も、仕草も忘れそう、めっきり夢で逢うこともなくなった私の父が逝ったのは、20年以上前、56歳だった。がんで余命宣告を受けたその入院が最後になった。

今日は終戦記念日。

父も母も終戦時は幼子で、兄弟も多く、父は就職で大阪にきて母と出会った九州男児、寡黙な人。

怒ったらとてつもなく怖かった、苦労しながら戦後を生きてきた、昭和の人。この世代の親御さんはこのタイプが多かったように思う。

最後に「お父さん」と呼びかけたのは、入院先の部屋。その前はいつだったか。

笑顔をみたのはいつ、何をしているときだったのか、思い出せない。

当時はがんを本人に宣告するかどうかを家族が決めることができて、伝えませんでした。実際父は宣告よりも半年も早く逝ってしまい、 言わなくてよかったと思ってしまった。

後悔のない人生を

そして私は夫に「自分の時は(がんだとわかったら)絶対に教えてほしい」とお願いした。矛盾しているが、はっきりそう言った。

あと1年で、私も父の亡くなった年と同じ56歳になる。今「あと1年です」と言われたらどうするか。

人生100年時代、医学も進歩して、毎年の健康診断や健康ブームにのっかり長生きする前提でいろいろ計画しているが、当然ながら先のことは誰にもわからない。

なんとなく父のこともあってそんなに生きないかもという気持ちも心の片隅にあり、いつなにがあっても後悔のないように過ごしているようなところがある。

なにかと全力投球してしまう性分もそこからきているのかも。

今、余命が1年だとしたら、仕事をやめるし、エンディングノートを整えて、周りの人にお礼を言いたい、少しでも楽しく過ごしてもらいたいと思う。…これは、今 自分が思っていること、決めてやっていることと同じだったりする。 自分が決めたことに責任を持つ、後悔はしたくないしおそらくしない。

お盆によせて

結婚して、「奥様」とか呼ばれたりしたとき

出産して、「お母さん」と呼ばれたとき

何か自分が変容したようで戸惑う気持ちと、自分よりも大切な存在ができたことの心からの喜び。

守りたい人がいる、守られることの心強さとありがたさ。 応援してくださる、叱咤激励してくださる周りの人々のありがたさ。母の偉大な無限大の清濁併せ吞み注ぎ込む無償の愛情。そして自分もその母に近づきたい。そんな気持ちになる自分にも驚く。

自分が今日 ”ただ在る” ことがいかに貴重で尊いことか、その命をつないでくださった親とその親とその親… 会ったこともないご先祖に感謝する理由はそれ、そしてそれがお盆という儀式・日本の習慣。そんな法話を少し前に禅寺の和尚様から伺った。

ご先祖様には直接お礼を言えないけれど、親や周りへの感謝は生きている間は直接伝えることができる。 会えないという ”しない” 行動は感染リスクを避けることができている。

実家に行って、やってあげたいこともたくさんあるけれど、子供が元気に過ごしていることが一番の感謝の伝え方だとも思う。 親になってわかったことだけど、子供にあれこれしてもらおうとは思わない。元気で幸せでいてくれれば、十分だ。

 

父が最後に欲しがった「荒川の桃」を毎年母が供えています。(写真はイメージ)

 

 

 

 

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