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2023年の占いをみてみる

くらしの雑記

ひさしぶりに「運勢」というものをみてみたいような、、

占い

お仕事をしている時はプロジェクトのなりゆきや自分のチャンスにつながるもの、交友関係にいたるまでなにかと参考に(あくまで参考に)していた占い。

リタイア直前によくみてたのが「しいたけ占い」。チャンスの時にぐっと押し進む背中をおしてもらうような感じで読みふけってました。ネットでみることができる星占い。年間・月間・日々が見れるのがもはやどこも定番。

リタイア後は特に気にすることもなく過ごしていたのですが、さすがに2022年は2回も入院すると、ちょっと来年どうなるの??となってしまいました。

入院期間の読書の一環として気になってた「ゲッターズさんの占い」の本をKindleで買ってふむふむと読みふける。

↓ 生まれ年(偶数奇数)で金か銀か。あといくつかの「座」に分かれている

買った本とほぼ同様のボリュームのものをネットでもみることができるようで、私は本を買って、家族にはそれぞれ該当するもののURLを送って、わいわいと来年談議 on LINE。

(「2023年 金(あるいは銀)のxxx座」 で検索するとでてきます。五星三心 で検索すると自分の座がわかる一覧があります。

あくまで参考、アドバイス

真冬に半袖で外に出ると風邪をひくので上着をきてね、、くらいのアドバイスのつもりでみてます。

実際2023年の私にちょっとささるところでいうと

人生の「成長痛」がある時期

● 好奇心が幸運を呼ぶ

● 今年の頑張りがのちの人生を変える

恋愛運やら結婚運、仕事運を読み飛ばして、健康、金運のところをガン見。いくつか刺さる言葉を2023年の手帳に控えていく。きっと同じ記事を見てもささる箇所は人それぞれ。なぜささるのか、キャッチする言葉には意味がある。

なにかこう、「心のお守り」みたいな感じで。私には「美術館」がラッキースポットなのだそうで、ちょうど来年の後半くらいにいければいいなとおもってたとこだった、と来年の予定を入れつつ。

一度だけ、占いに行ったことがあります

参考程度に…と距離をおいたようなことをいいながらも

今からおよそ20年ほど前、30代半ばあたりに上司とその上の人の2層パワハラ・モラハラに苦しんだ時だけは、友人からきいた占い師のところにいったことがあります。子供が熱を出したり私の体調が悪くなっても容赦がなかったあの頃(懐…涙。)

特に予約もいらないようなところで、ふらっと。

ぽつぽつと話はじめ、時にとぎれながら、さめざめと泣いていた私に「今日momaさん来てよかったよ、ちょうど今が底。これからは上向きしかない。今のお仕事もあなたに向いているよ。しかもその二人はあなたに対してそこまでの悪意はないのよ。」と言われ…。

え? は?

なんだかあほらしくなって、私も執着がぽろっととれたような。悪意ないってナニ。あの人たち、ナチュラルボーンパワハラ?息をするようにモラハラ?そんな風に形容する言葉は当時まだなかったけれど、そんなのに真剣に向き合って消耗するのは徒労の極み。無駄な時間と気づいたような。

以降、”アクイノナイ言動”には、①一度だまって顔を見て、復唱する ②議事録にリアルに残して確認・なんだったら公開する、 など、こちらも淡々と感情を込めずにストレートにこなす(反応しない)日々。それからしばらくして、これまで何人もの部下が休職していった事実もあって、彼らはそれぞれ部下のいないセクションや全然違う分野の部署に異動になって退職していったり。今思えば私の言動でなにかお気に召さない・刺激してしまったんかもしれませんが、そんなんしらんがな。

その後私は早い時期に希望する部署に異動したりして、物理的にも心理的にも疎遠に。今なら街で会っても笑ってご挨拶できる。今もお元気に暮らされていればいいな。しらんけど。

それ以降、悩むよりもどうしたいかを考えて、自分でどうにかできるものだけにフォーカスするようになりました。私のことをどうでもいい(あるいは便利なコマ)と思っているような人に私の人生で割く時間は、1秒もないぜ。久々にちょっと思い出してしまったぜ、そして笑い話・ネタに変えてやったぜ(笑)

「知らんけど」「知らんがな」を駆使しながら、好奇心に魅せられる方へ。

ゲッターズさんの占いによると、私は来年も引き続き「好きなモノ・好きなこと」に飛び込んでいってよさそう。そんなことが知れて、HAPPY な新年を迎えられます。見たいものだけみて陽気に行こう、単純、おおいに結構さ。

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