さて8月某日56歳になりました。母が56歳のころを思い起こすと、とっくに孫がいた=お婆ちゃん。ひぃ。
母から私へ
母となった娘のサポート
結婚して「奥さん」と呼ばれて新鮮だなーと(遠い目)
出産して「お母さん」とよばれてうれしかったなーと(さらに遠い目)
次はあれですね、「ばあば」ですかね。。とはいえ、子供が結婚するかどうか、出産するかはわからないけれど。
私が出産したとき母は57歳。3人目の孫で初の外孫。産後、退院してから1か月ほど実家で過ごしすことに。3時間毎の授乳生活でお世話になりました。
覚えているのは寒い夜中の授乳に付き添ってくれたこと。倒れそうな私の身体と心の両面のサポートはありがたかった。
さて私、同じことできるかな?
いやいやいや、、
親の(祖母の)立場で考えると相当大変なことだったと今この年齢にきてわかる。今になって感謝もひとしお。おそるべし50代の母の体力。
専業主婦だった母から強く勧められたWM(ワーキングマザー)の道
子育て中もう数えきれないほど助けてもらいました。「子供(私)の為」にどこからかパワーがみなぎってくるのかな。あんなフルパワーのサポート、同じことはできない。ありがたいの一言。
- 突然の発熱で私が帰れない時の保育園の迎えと看病(電車で片道2時間)
- 1~2週間の海外出張の間、1歳児~を実家で預かる(夜泣く、昼泣く、をなだめる)
- 基本的に夏休み期間は実家滞在、私も実家から通勤
などなど…母の偉大さよ。
↓ もう、走馬灯にも出てこないであろう、今振り返ると「一瞬」だった子育て期と反省
私から娘へ
社会人になって数年、文字通りいろんなことを経験している娘。
食べっぷりや会話と表情、目線のあるなしで健康状態をチェックするストーカーちっくな母(私)。
そんな娘との会話の中で
「お母さんみたいに仕事して子育てして家事して…無理だわ」と。
いやいやいや、、
このままではこどおば(子供部屋おばさん。実家暮らしで子供部屋にずっと住まう)だよ?まあいいけど。
私の時代は結婚退職がまだ残っていて、男女雇用均等法がはじまったところで周りの理解と助けがあったからなんとかやってこれただけで、
お料理…失敗数知れず、お取り寄せや外食に頼ること数知れず。家事…おそうじの頻度が低くて義母がくるたびドン引き。家計簿が形になったのも出産後(ざる会計だった)等々、走りながら懸命に今を乗り越えていく、の連続。
時折「私が小学生のときこんなことがあった」とか言われても覚えてないことも多く、素直に反省する。大変だったし、そう見えていたんならやろうとは思わないのもわかる。
教育費を多くかけることができたり社会人になってお悩みに答えたりもできる反面、寂しい思いもしたと思う。
娘はWMは選択しないのかな、、それもまたよし、ほととぎす。
その時がきたら「選ぶ」
何か大きな岐路に立つときは、肝力(たんりき)が大事。物おじせず、ポジティブに問題解決をする、あるいは選択する力、ですかね。
これは厳しかった父と30年余の会社生活と子育て生活の賜物、オリジナルの経験からくる自分の財産。もちろん完ぺきではないけれど、さすがに50代後半にはいってあたふたあわてるようなことは減ってきました。
なるようになるってやつですね。
受け継ぐものと受け継がないもの、選べるということも大事で尊重したい。
↓ 体力維持も大切。最近はスロースクワットに精を出してます。4秒でしゃがんで4秒で起きる × 20回 × 3セット。足腰大事!
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