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モネ展・大阪は5月まで

舞台・芸術鑑賞
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初めてのモネ展。久しぶりの中之島美術館で印象派の印象が変わった日。

モネ 連作の情景 展

モネと言えば印象派。「もわもわした蓮の池の絵の人」というお恥ずかしい知識レベルの私でしたが、小寒い平日に誘われて、行ってきました。

  • 会期:2024年2月10日~5月6日
  • チケット:一般2500円

久しぶり~宇宙猫(正式名称 SHIPS CAT / Muse)

イマドキはもうチケットもデジタル発行なんですね、この美術館ならではの狭いロッカー@100円に上着とカバンをつめこんで、スマホ片手に軽装でエスカレーターで入り口に向かいます。

このエスカレーターは高まるわ。この日は平日でしたが、やや混み合う会場。

入り口でスマホからチケットのQRコードを読み込んで中へ。一部写真撮影可の作品もあり、ミュージアムショップのお買い物もスマホひとつ持って閲覧できるのは身軽でよき。館内は暑いくらいだったので。

5つの構成

あまりモネのことを知らない私でしたが、印象派前の作品もあって、各章の紹介文やいくつかの絵に見どころが書かれてあってなるほどと見比べる。私のような素人でも見ごたえがありました。

1章:印象派以前のモネ

2章:印象派の画家、モネ

3章:テーマへの集中

4章:連作の画家、モネ

5章:「睡蓮」とジヴェルニーの庭

<美術館公式HPより>

クロード・モネ(1840~1926)
印象派を代表する画家。1840年11月14日、パリ9区に生まれる。家族の転居に伴い5歳頃からル・アーヴルで暮らす。18歳の頃、風景画家ブーダンの助言により戸外で風景画を描き始め、パリに出て絵を学ぶようになる。1862年には、画塾でルノワールら仲間と出会う。1865年、サロンに初入選し、尊敬するマネに「水のラファエロ」と呼ばれる。その後はサロン落選が続き、経済的に困窮する。普仏戦争を機に妻子を連れてイギリスとオランダに滞在。1874年、第1回印象派展を仲間とともに開催。国内外を旅して各地で風景画を精力的に描く。1883年よりセーヌ川流域のジヴェルニーに定住。1880年代後半から自宅付近の〈積みわら〉を「連作」として描き始め、この頃から旅先での制作も「連作」の兆しを見せる。1891年、デュラン=リュエル画廊で〈積みわら〉の連作15点を公開。この個展が評判を呼び、フランスを代表する画家として国内外で名声を築く。連作はその後〈ポプラ並木〉〈ルーアン大聖堂〉〈セーヌ川の朝〉、ロンドンやヴェネツィアの風景、〈睡蓮〉などのテーマに及ぶ。晩年の制作は〈睡蓮〉が大半となり、眼を患いながら最晩年まで描き続けた。1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳にて死去。ライフワークだった〈睡蓮〉の大装飾画はフランス国家に遺贈される。後半生の作品はカンディンスキーや抽象表現主義の画家たちに影響を与え、モネの再評価につながった。「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」というセザンヌの言葉が有名。

あまりなじみのなかった印象派でしたが、光がきらきら✨、水面がきらきら✨そんな空気感を感じる作品が並びます。船や建物、橋、いくつか人物画も。

絵を見ながら感想を話されている方も何人かいらして、「この作品はどうかな? を感じるね」と高尚な感想を述べられている方。なるほどそういう見方・感じ方を普段からされているのか、など。

やっぱりのぞいてしまう、ミュージアムショップ

平日なのに、そこそこ混雑していた会場。さらに混雑していたのがミュージアムショップ。展示されている5階と入り口の2階にありますが、展示会のものが充実しているのは断然5階。細い通路に人が行きかい、見知らぬマダムにうでをつかまれるなど(知り合いと間違われたw)。

さて、戦利品はクリアフォルダー、メモ帳、ノート↑。ハンカチ↓

ショッピングバッグや小さな缶に入ったクッキーなど、一周してよく吟味。透明の外装袋は50円。ロッカーに全てあずけて館内に入りましたが、ショッピングバッグを1つ持ち込めばよかった。

同じ景色でも時間がたつと(画家の年齢が変わると)絵が変わる。なるほど。物理的なモノよりも気象をよく描いている…なるほど。

みているこちらの状況(みる眼)も変わる。昔見た作品もいままた実物をみると印象が変わる。穏やかな光や水面もいいけれど、くぐもった波や荒々しい岩肌の様子もいい。そして睡蓮の一連の作品の大きさ。人生の終盤を迎え、穏やかな、静けさを感じました。

↓ 市内のちょこちょこ移動に便利。老親だと地下鉄やバスの階段よりも、タクシーが吉。アプリで近くにいるかどうかすぐわかります。



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