毎月 能楽を観る贅沢。リスニング力(?)もあがってきたような。。
大阪・大槻能楽堂創立90年記念公演の4日目
1月に2日、2月に1日,そして3月で最後の公演。4回分の通しチケットを購入して毎月楽しみにしてました。
3月23日の番組
◆ 能「草紙洗小町 替装束」 赤松禎友
◆ 狂言「素袍落」山本東次郎
◆ 半能「石橋」大槻文藏 大槻裕一
最終日にふさわしい、人間国宝のオンパレード。
草子洗小町(そうしあらいこまち)は、宮中の歌合の前日に対戦相手の小野小町の歌を盗み聞きして「古歌」にしたてて陥れようとする(けれど失敗する)大友黒主の話。陥れられた小町の涙と毅然とした態度で潔白を晴らすさまとそのあとの赦しというストーリーにぐっときました。
狂言 素袍落(すおうおとし)は、伊勢参りに明日行くと決めたけれどかねてから同行の約束をしていた伯父へ挨拶へ行く太郎冠者。言ってはいけない、もらってきてはいけないのに、つい勧められた(催促した?)お酒の勢いのままに…という話。太郎冠者の山本東次郎さんをこの目で拝めてうれしや。酔うほどに間と足取りとごきげん?が変容する。見ているこちらもご陽気になってしまうその空気に圧倒。
半能「石橋(しゃっきょう)」は、盛り上がる後半から。幅一尺ほどの苔むした橋とその下の震えるほど深い滝つぼからのぼる霧。絶対渡れないその橋の先には文殊菩薩の浄土があるけれど、常人には渡れない。そこから霊獣獅子が現れて牡丹の花と戯れる。とても豪華な赤い髪と白い髪の獅子、金色の面。迫力満点のお囃子と謡と舞と足拍子に圧倒、素晴らしき時間。
今も楽しめる、昔の作品を今見ても楽しめる
前もってストーリーをちらっと確認する程度で観る。月に1度のペースで観ているともしかしてセリフ?がききとれているかもしれないと思ったりする。謡いはまだまだわかりませんが、リスニング力、あがってるかも?
ただただ拝見するだけのまだまだ新参客ですが、毎回「神気を浴びる」感覚がここちよい。
時代を越えて、同じ型・コトバでつないでいるからこそ、昔の作品をみても楽しめるのがいいところ。
昔の作品と言えば、
狂言の茂山千五郎家で5月まで実施しているクラウドファンディングでデジタル保存や修復のための活動があるそう、少しだけですが参加してみました。
3月24日の同YouTube配信で流れていた、デジタル化した23年前の狂言「文荷(ふみにない)」。全然古く感じない、当たり前のことなんでしょうけれど、今でもおもしろくて楽しいのがすごい。間が素晴らしい。連綿と今につながる日本の文化伝統をつなぎ残す、小さな一助となりますれば。
↓ 愛読書。山本東次郎さん著「狂言のことだま」
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