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80代・親世代の断捨離脳をはぐくむ

くらしの雑記

モノが捨てられない世代の母。数年前に実家を処分し、ダウンサイズしたリノベマンションの暮らしを始めるにあたり、「断捨離脳」への刺激をしてみた時の話。

家じゅうにある「まだ着れる(はずの)服」

仕分け

洋服をしまっているプラケースやタンスをすべてあけ、一緒に仕分けをしました。

最初は「いる」に分類していた服。受け取った私が季節・色別に整えていきます。

  • 同じ色の似たような服がたくさんでてきた。赤のモヘアセーターどんだけあるの。

→ もっとも状態のいいものを残し、あとは「不要」へ

  • はいてみたらきつくてはいらないパンツ、生地が固いもの。昔の生地は今ほどストレッチがかかっていないので固くてはきにくい感覚

→ はけないもの、固いものは「不要」。結局パンツ類はほとんど処分

かなり時間をかけて、実際に自分で試着したり目で見て 要・不要の判断をしてもらいました。汗だくです。いくつか捨てる決心がつくと、そこからは「あれもこれも不要」というゾーンに入り、ほいほい受け取り処分用のプラケースに「今までありがとう」と言いながら入れていきます。

処分=売ることでわかるイマの価値

中型の車のトランクいっぱいに入れた「不要」の塊の服、数十年着ていないものもあります。これを実家近くの「セカンドストリート」に持ち込みました。

  • 査定額は「400円」ほど。トランクいっぱい、前日からの仕分け作業の時給も出ません(笑)。

以前私がプラケース1つで「5千円」くらいになったよと話したこともあって、ランチ代にする気満々だった母。 汗だくになって仕分けして、思い切って手放したものもあるのに400円って…。

自分で不要だと判断して手放していくことを初めて体験し、そして価値があると思っていたものが「古くてほとんど価値がない」ということを知り、少々ショックなようでした。

着物は処分対象外にしましたが、古くなっても代々譲り受けて着続けることができるので、「洋服を捨てる」という感覚をもつのがなかなか難しかったようです。着物のように何かにリメイクしようとしたりするのですが、生地が古くなったものは、私的にはウエスしかない。SDGs的には着物っていいなと改めておもったり…と脱線。

断捨離後の「循環」

断捨離して空いたスペースを有効活用するもよし

母の場合はダウンサイズしたマンションにタンスゼロで引っ越せました。

そして、ぽっかり空いたスペースと心の穴に、以前から欲しがっていた本当に欲しいもの=某ブランドのワンピースをお引越し祝いでプレゼント。千捨て壱買いといったところでしょうか。

「新しいもの」「質のよいもの」を ひとつだけ。ですが喜んでいただけました。

断捨離は手放してスッキリするだけでなく、古いものから新しいものへ「循環」させることで、QOLがバージョンアップする喜びがあり、これが最も母を刺激したように思います。

親戚の家でみた「高かった(であろう)服」

この後、ある時親戚の家で「ひざ掛け」を探すのに、押し入れのプラケースをいくつか開ける作業を母と手伝う機会がありました。

ひざ掛けは無事見つかったのですが、始末屋の伯母がきちんと整備されたプラケースにしまったなんとも高級そうなセータの数々。

きっと高かったんだろうなとおもうようなニット地でしたが、なんだか古い。ニットのふっくら感が若干、いやかなり弱い。

上述の断捨離で「古いもの」と「新しいもの」の目利きができてきた母。帰りに

「あの洋服、セーターは『あげる』といわれてもいらない。かなりくたびれていたわね」と言っていました。

もらえるものはもらう主義の母からしたら大進歩、断捨離脳、大成功!…と思ったのもつかのま。

その後あまりすすんでいない断捨離

そんなこんなで断捨離に励むと思いきや、なにやら「新しいもの」を買ってカラフルに楽しんでいるようです。まあ、それもよし。

買いたければスペースを確保せよ…というも母には「1買い2捨て」までは通用しなかった。

まあこれから増える分については老い先も考えて好きなようにしてもらえたらと思っています。置く場所は限られているので、着心地のよいものをきて楽しんでもらいたい。

かくゆう私も、季節の変わり目に古くてくたびれたものは処分。ミニマリストではないので気に入ったものに囲まれて、買った時の金額やブランドよりも着心地がなによりも優先。重いものや固いものはもう着ることができません。温故知新ならず、新しいものを買って古さを思い知り、手放す。

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