スポンサーリンク

60年来の友を亡くした母に寄り添う

くらしの雑記

このところ人を送ってばかりの80代の母

ある日の朝、電話で

電話口で話す前から嗚咽している80代の母。ああ、ここ数年闘病していたあの人が亡くなったんだな。

すぐに最期を迎えた家に向かいお別れを言うという母。私が生まれる前からの、家族ぐるみのおつきあいだったこともあり、とりいそぎ私から兄弟のLINEグループにて連絡。こういうとき便利だな。

そこからは朝ごはんもとらず、とるものもとりあえずにもっていくものをカバンに突っ込んだり出したりを繰り返す。お通夜と告別式の準備と母のところに数日泊まる準備。。。用意はしていてもまたしてももたもたとしてしまう。考えたり、泣いたり、母を心配したりしてどうするのがいいのか?時間が過ぎていく。

早速仕事にでていた兄弟からすぐに帰宅すると連絡があり、一旦私も落ち着こう、と。今日は兄弟に任せて、明日のお通夜と明後日の告別式にむけて朝いちで母のところにいくことに。家のことは夫に頼んで…というか普段から夫が主体なので問題ない。

とはいえ私の夫も先月父親を亡くしたばかりなのに家を空けてしまう。母の親友のことはほぼ親戚づきあいに近いこともあって夫も何度も会ってる人だったので「お母さんに寄り添ってあげて」という言葉に送り出される。いつもながらの優しさがありがたい。

なんせ母は80代、

なんせ母はここのところ人を送ってばかりで弱ってる。

そして今週お見舞いに行くはずだった90歳の伯母のところにいくのもキャンセル。

会いたい人に会えない間に、もう二度と会えなくなってしまった。母のメンタルがとても心配。

ハイテンション母、ひさしぶりの親族の人たち

私がつく前から、お通夜、告別式、実家に帰宅してからも

ずっと誰かとしゃべってる。もともとよくしゃべる人だけれど、とても不自然なハイテンション。

そして時折思い出話の途中で泣いて言葉が続かない。

私たち50代の子供世代にできることは、生前にどれだけ明るい人だったか、どれだけ人の為に働いたか、どれだけ親身になってくれたかを親世代や子供(孫)世代とたくさん話して故人に感謝することだけ。ありがとうと声をかけて、お花でいっぱいにして、そして、お空にいってしまった。

母の友人、亡くなったNちゃんの子供は私たちと同じ50代の幼馴染。私が闘病してたことをNちゃんにも幼馴染にも親子ともども心配をかけていたこともあって、お通夜の前に葬儀場との打ち合わせを終えた幼馴染がとんできて、抱き合っておいおい泣きました。おばちゃんに元気になった私をみてもらいたかった、お互い元気になってよかったな~って笑いあいたかった。

久しぶりにお会いする方々の中にもうNちゃんはいない、あんなに中心的で存在感あったのにさ。年上の友(母)をおいて先に逝くなんて。早すぎる、けれど一所懸命生き抜いたNちゃんに「お母さんをしっかり頼むよ!」と、いつもの激をとばされた気がする。

子供世代、孫世代が続いて、幼馴染も夏には「おばあちゃん」になる。こうやって、明日からもそれぞれの人生は続いていくのだな。

ケア&ケア

今は元気であちこち出かけるのも好きな母。今度、義父のところに弔問にかこつけて一緒に一泊で旅をする。

リタイアして比較的時間の融通の利く私は数日実家に滞在し、冗談を言ったり、近況の話をしたりとせわしなく動いたり話したりする母と一緒にいました。一緒にいると却って面倒をかけたのかもしれないけれど、数日するとようやくよく眠れたようなので、様子をみながら実家をあとにしました。

その間も活躍する兄弟LINEグループ。ここ一週間あるいは四十九日まで、日記のように様子を共有したり、直接母とLINEや電話をしたりと一定の距離をおきながらもケア&ケアの日々が始まってます。本人は他の友人とも共有したいだろうし、ひとりでいたい時間もあるだろうし、仏壇の父(母の夫)に「Nちゃんがそっちにいったよ」とぽつぽつ語りたいだろうし。。ケアなんていらん!と思ってそう。子供に世話をかけたくないんだろうな。

今のところ持病はあっても食べたり出かけたりできる母の身体はまだ大丈夫そうだけれど、ここのところの逝く人の多さに、日にち薬や経験値がどこまで癒せるのか、人生の先輩の大きな(いや小柄なんだけど)後ろ姿を見ています。

 

↓ 「もしもの準備」をしていても、いざとなるとあわてるもの。少しずつ整えていく

コメント