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50の手習い・クロサワ映画

舞台・芸術鑑賞

能の様式美を取り入れたという「乱」鑑賞。渋みがわかるお年頃。

「能の美」

少し前に録画していたETV特集の「能の美」を鑑賞。

↓ 「能」の幽玄・奥深さにはまってます

これは40年ほど前のドキュメンタリー(未完)。能の様式美を作品に取り込んでいる黒澤明監督の監修。

フィルムに収められた能、またそれらを取り入れた複数の黒澤作品、特に「乱」の出演者の方々の最近のインタビューもあわせた1時間のとても見ごたえある番組でした。

美というものは説明することは出来ません。

自分の心で感じ取る他はありません。

能の美もまた同じです。

~ 黒澤明「能の美」 冒頭より引用~

「感じ取るもの」

キレイは汚い、汚いはキレイ。

必ずしもキレイ=美しいではなくて、自分が感じ取った「美しいもの」を見つけた時の小さな高揚。これこれ。

番組内では、能の所作=衣擦れの音だけで恐ろしい情念を表す映画作品(蜘蛛の巣城)や、着物の柄行でその女性の魔性を表したり(乱)、能面とまごうほどのメイク(乱)など、それぞれの映画にご出演された俳優の方々が40年ほど前の撮影当時を思い出されてのインタビューもありました。仲代達也さんを始め、原田美枝子さん、ピーター、野村萬斎さんなどなど。

「乱」が公開された1985年は私はまだ10代後半。クロサワ作品の深みや味わいがわからぬ小娘だったこともあって敷居がたかいまま観ずにきました。当時ニュースで何度か中断した作品とかやってましたね。

さて、50代になって初めて観たクロサワ作品は「七人の侍」。汗と血と埃が舞たちにおい立つような映像、農民のしたたかさに恐れ入りました。

次に何をみるかなーと思ってたところにこの「能の美」からの「乱」。早速Amazonプライムでレンタルして3時間弱の大作をじっくり鑑賞しました。

ストーリーも映像も演者も素晴らしい、今なお色あせることのない映画。これを味わえる年齢になってよかったなという思い。

個人的に美しいと思ったところをあげますと

ストーリー

シェイクスピアの「リア王」を原作に、戦国時代の老練な武将と3人の息子の家督相続をめぐる争い。疑念からの謀(はかりごと)。尽きぬ世のならい。

映像

うわさに聞く「今日は空が違うから撮影しない」ということもある徹底ぶりの黒澤映画だけあって、

  • 空や草原、嵐(本物の嵐だったそうな)や土埃、城の焼けっぷりや夕日に映える焼け跡。空気の湿り気や渇きがそのまま手に取れそうなくらいにリアルにそして美しい。
  • 全く時代を感じさせない衣装(ワダエミさん)。服に着られている演者もいない。素晴らしい。
  • 乗馬、騎馬のさま。馬上の扱いも大群となって押し寄せる馬、落馬する方々、美しいです。川越を馬の大行進でやるところとか、見惚れました。何百の馬が走るところの長まわしは躍動感ありとても美しい。
  • 城が燃え盛るさま。燃え盛る城から主人公が階段を下りてくる、魂の抜けっぷりのところも観てるだけで焦げ臭・鼻が痛いほど、素晴らしく美しい。

どのシーンで切り取っても絵になる。

演者

当たり前ですが変な演技の人がいない。根津甚八さんの使い方(失礼!)が素晴らしい。振り回されておろおろするさまが、少し大きな「マーズアタック」みたいな月代頭と合ってる(褒めてます)。

老将、仲代達也さんがおかしくなっていく様は能面のそのもので舞台のよう、どんどん小さく、弱くなっていくさま、命のはかなさ。

ピーターさんのピュアな道化の小姓役、狂阿弥。発声とおどけた舞がきらっきらで素晴らしい。

何より美しく恐ろしいのが原田美枝子さん(当時 25歳)の楓の方。上述の「能の美」のインタビュー内でも、「衣装が固くて最初動けなかった。素早い動きがしづらかったけれど、ずっと衣装を着たまま過ごして慣れていき動けるようになった」といった主旨のことをおっしゃってました。いで立ちがもう魔性そのもの。衣擦れのしゅるしゅるいう音だけで怖い。

野村萬斎さんも17歳でご出演、盲目の役。笛の音、旋律がとても好み。はかなげ。

自分の心で感じ取る、美

人の生・死・狂・老が淡々と表現されるサマ。はかなく美しい。かくも簡単に疑い操られ裏切る。

昨今の映画でこのスケールを越えたものを見ていない気がします。

「能の美」の中で世界的演出家の方がおっしゃってましたが「人間の愚かな営みを神の目線で淡々と描いている」。まさに、様式美。

アラカンに差し掛かり、自分で感じとれる美しき世界にもっと触れ浸っていたい。

いまだ色褪せぬ黒澤作品をじっくり鑑賞していくのもよき。次は「蜘蛛の巣城」あたり。

 

↓ こだわりの作品は観てるこちらに真っすぐ届く。おうちで楽しめる贅沢。至高だ。

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