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義父の葬儀を終えて・家族葬

くらしの雑記

心の準備をしていても、お別れはつらいもの。そして、お義父さんありがとう。

義父の訃報、からの家族葬

何かあれば一番に連絡が入る兄弟から夕方電話があったと夫から知らせが入り、夫の帰宅の時点ですぐに出かけられるように玄関で正座スタンバイ完了。いや、事前に準備はしていても、いろいろ追加したりして、お化粧忘れてた、あ、夜だしいらないわ、、など、無駄に落ち着きなく動くアラカン。

↓ もしもの知らせの準備。今回使ったものを追記・更新しています。

しかし連絡を受けたときにはもう亡くなられていて、翌日朝一番で車で向かうことになりました。

夫は「眠れないかもしれないけれど、今から夜中にかけて急いでかけつけるより、いま義母のケアと葬儀の手配であれこれてんてこまいの兄弟が今夜も多分寝られないから、明日行く俺たちで体力のいることを引継いで交代した方がいいから」と。思ったより冷静です。

朝、私たち夫婦で直接会館に向かう車の中で、夫の沈む&はやる気持ちをおもんばかりながらも、「義母の近くにいるようにしてあげて」と何度も話しました。

だって、人間生きてる中で最もストレスを感じるのは「配偶者の死」だそう。愛別離苦。まだ私たち体験してない。

私の知る限りの親族の葬儀では、いずれも夫を送る妻(40代から80代)は、どこかのタイミングで必ずふらっと倒れてました。一人目は火葬場で骨になった姿をみた時気絶、二人目は葬儀が終わって数日何も食べていなかったので激しく嘔吐と寝込み、三人目はお通夜の晩に血圧200越えで葬儀も這うようにやっとのことで出席。看病期間の有無や急だったことなどケースは色々あれど

共 通 し て 、 倒 れ て ま す 。

そして義母もすでに体力も気力も限界を超えているはず。

3時間以上かけてようやく葬儀の会館に到着して、納棺前の義父に会うことができました。その穏やかなお顔にこれまでの感謝の気持ちをお伝え。享年89歳。夫唱婦随のおしどり夫婦で残された義母のがっくり力の抜けた姿に涙が止まらない。

家族葬・大奔走

先に駆けつけてくれている夫の兄弟一家が、おそらく事前にきめていた段取り含めててきぱきと会館との調整や僧侶への連絡などこなされて、義母と義父の兄弟への配慮も怠らない。

お通夜のあと、少し落ち着いて兄弟間で家族葬の段取りなどを共有されてました。

  • 全体の段取りと費用。お通夜・葬儀・火葬~お骨上げ・自宅祭壇への仏具の置き方・僧侶への戒名費用や心づけ。15人程度の家族葬で戒名のお代を入れて100万円以下、下記の別途支払いを入れても120~130で十分なくらいか。かかる費用は事前に準備済み。最終の請求書をみていないのでおおよそですが。
  • ちなみに戒名のお礼は25万円。枕経や通夜・葬儀・同日にしていただいた初七日の心づけは別途、菩提寺僧侶へ支払い。ココロヅケって「おキモチ程度」っておいくらなの~。。ひー、いや、ありがたや。。
  • 家族葬は葬儀の出席者・人数によってパック料金が分かれていて、今微妙に超えそう…食事なしだし微妙に増えた分は追加料金なしでいけるのかいけないのか調整するかしないか。実際ひょっこり来て下さった高齢の遠縁の方がおられて、おそらく追加請求されなかったと思われる。食事や車の手配がなかったこともあり。このあたり担当者・支配人との調整かも。
  • 会館に宿泊するのは誰と誰?仮で進めたあとの 変更が多い・連絡が遅い。当日くる人と宿泊する人数がちょこちょこ追加で変更。お布団の数やお部屋の手配が変わる=料金が変わるので、誰がいつくるのか?これないのか?近くのホテルをとるかとらないか?こっちでとるかめいめいでとるか?まだ到着していない兄弟にも電話連絡したりして相当ばたつく。今後留意したいことのひとつ。
  • 会館と調整した段取りを丁寧にゆっくり義母にも説明する(何度も質問されて何度も説明する)。内容を複数人でシェアしておけば、義母が忘れたり抜けても大丈夫…と言いたいが還暦前後の息子たちも忘れたり抜けたりしがち。
  • 食事、いわゆる会食の有無、どんなものをどのタイミングでいくつ用意するか(多めになったりしてもアレなので、お持ち帰りできる巻き寿司のパックを配っていました。これはホテルに帰って食べられたしナイスだったと思う)
  • 兄弟3人で供花をどれくらいのものにするか。全員と連絡がつかないので先に走っておいてあとで請求…しても払ってくれるよね的な話。「〇〇さんの供花があるなら○○さんも…」は受け付けません!と言いたいだろうなと。
  • どこまでの知り合いに今の時点で連絡するか(結局義父の関係の方々はあとで…になったようです、みなさん90前ですし施設に入っている方々も多い為)

いやまさに奔走。頭が下がる。何も手につかない義母がみたり書いたりしなければならない書類もあって、特に戒名を考えるにあたって故人の「人となり」を書く紙、…そんな急に…といいながら枠からはみ出すほど美辞麗句・賛辞を並べる義母。「もういいことしか思い出せない」いいことです、これは。

家族葬が流行る前、まだ私が20代の頃の記憶では大人たちが夜中までかかって「焼香順」など調整したりお酒を飲んだりしていましたが、家族葬はシンプルになったとはいえ、せわしなさは残りますね。だけど絶対家族葬だな、、と夫と娘とも意見一致。

通夜と葬儀の間に夜に一度義実家に戻って、葬儀後の仏具を並べる祭壇組み。床を掃除して白木を組み上げ、掛け軸(探し回った)をかけて。ついでに義母の「喪服」と「葬儀バッグや数珠一式」を一緒に探す。さすがに事前に用意しているわけもなく、また疲れて同じところを何度も探しながら、義母が倒れないようできるだけ座ってもらったりお茶で水分をとってもらったり。おそらくここ2,3日のことはあとで覚えてないんだろうな。

ちなみに私の母への連絡は、こうなる前は何かあれば連絡して葬儀にも出席したいといっていたのですが、いざその時がくると私が連絡することを躊躇してしまいました。車で私の兄弟に送ってもらうのもはばかられる距離、新幹線としてもひとり新大阪のあの雑踏をよろよろ歩く80代の母を思うと…連絡できなかった。

母には悪いけれど、調整のつかない時間になってから連絡して「弔電とお香典(一旦私が立替)」を頂くというテイにしました。おそらく母も結果それでよかったと思ってると思う。ことにする。

いっぱいいっぱい・義母

葬儀後、火葬場が混み合っていて控室にたくさん名前の札がありました。待ち時間は90分ほど。10代~30代前半の孫チームがわちゃわちゃして、会場も広くて、待ち時間に歓談して笑って義父を送れたと思います。

そして案の定、、火葬場からすでにフラフラしてた義母が帰宅してすぐ倒れてしまい、寝かせてあたたかくして、遅くまで弟夫婦がつきそい、

翌日は私たち夫婦が訪問して、様子をみたり焼香に来られるお客様の対応をする義母の手伝い、

翌々日は比較的近くに住む弟夫婦が訪問して各種手続きに同行、

それぞれが、いままでよりも少しだけ義母の家を訪れる頻度を上げることを誰が言うでもなくそんな雰囲気となって帰途につきました。これから義母は80代後半の一人暮らし。義母の住む界隈には同じような未亡人が20名ほどいらして、お茶会などが頻繁なよう。安心材料のひとつではあります。

お義父さん、

芯があって熱くて心優しい義父、夫を健康で優しい人に育ててくれて

私の父が亡くなった時に「これからは私をあなたのお父さんと思ってね」と心から言って下さって

娘を小さいときからよくお散歩やザリガニ・おたまじゃくしとりなど自然大好きにしてくださって

ありがとうございました。

合掌。

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